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絵を描こう。あなたの絵を。

さあ、今日もデッサンをしよう。
 
 
モデルをじっと見つめる。
光の方向はどこか。
 
頬を照らすひかり、首元に落ちる影、
柔らかく閉じられた唇。
ああ、なんと美しいのだろう。
この瞬間を“永遠のひととき”として彼女を、
または彼を、
画面の中に閉じ込めていく。
 

「始めます」
タイマーを押してからのアトリエはとても静かだ。

めいめいが自分の画材を手にして、形を取っていく。

ある人は鉛筆で、

ある人は油彩で、水彩で、パステルで。

 
静寂を切り裂くようにして線を引く音がする。


 
21世紀にあって人類の「描く」ツールは増えたが、「自分の手で描く」ことはシンプルで、とても原始的な作業だ。
そこで生み出される線描のなんと豊かなことか。

 

しかし、なかなか簡単にはいかない。
光を纏ったモデルは美しいが、
光に惑わされてしまう。

形が狂う、引きたい線が引けない。
うまくいかない。
とてもイライラする。

 でも、それも含めて「自分で線を描く」ということは本当に楽しいのだ。


時間が決められているという緊張感もある。

「今、まさに、絵を描いているのだなあ」という気持ちになる。


「見ること」と「観ること」は同じ音ではあるが意味がだいぶ違う。観察を土台として描くということはこんなにも面白いものなのかと実感する。​人物ドローイングを始めてから「カラダを見ることの解像度」が上がった感じがする。

 
絵を描くことは目を鍛えることだったのだ。
 
 
ここに一つの例をあげる。

生成AIで「人物 デッサン 女性」を描いてみた。

わずか3秒で簡単に描いてしまう。

素晴らしい技術だと感心する。
しかしこれは「私の絵」とは言えない。
モデルを見つめ、光と影を拾い、線を描き、形を作っていく工程とは全く異なるものだ。

これから技術が進み、
いつかAIによって人が絵を描く意味を完全に失ってしまうかもしれない。
そして人間は絵を描かなくなってしまうかもしれない。でも、本当にそうなのか。

あなたにはずっと描きたい欲求があったのではないか。今こそじっくりと対象を見つめて人を
描く体験に触れて欲しいと思う。

​さあ、一緒にデッサンをしよう


​(文  狩野直子 2023/12月)

彩園子の廊下、季節の蔦が美しいです

IMG_2348.JPG

2023年の活動の様子

ChatGPTの生成AIで女性モデルの鉛筆デッサンを描いてもらいました。

​さあ、あなたも描いてみましょう

人物デッサンを​描いていると色々ないいところがあります。

集中力がつきます。
 

素早く形を取れるようになります

​色々な画材を用い、表現の幅を広げられます

​制作風景
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